2016年10月26日

表現の自由と、言葉の暴力と、出る杭は打たれること


うーん、何でしょう。
なんともムズムズする心持ちになるのは、なぜなんだろうか。

患者さんの苦しみ、医療の実態や、公的保険の課題など、自分は全然何も知らないし語るほどの知見も無いので、そこは何とも言えないし言うべきでもないのですが、感想として、多角的に事実を仔細に調査し勉強しておらず慎重に言葉を選ぶことも出来ない直情的なだけが取り柄のバカは、出る杭は打たれるしかも徹底的に、ってことなんだろうなと思いました。

私も、長谷川氏の例のあれについては調子に乗りすぎたバカな行為、一線越えちゃったバカ以外の何者でもないとは思います。
ただ、目に見えた課題を何とかしなくては、解決に向けての提案をしたいという素直な思い自体は真剣ではあるし、悪いものでは無いよねとも思います。ただ、思ったことをそのままバカ正直に不特定多数の向けて大声で得意気に発言してしまった、バカだったというだけなのかなと。

翻って、こちらの野上さんの痛烈な批判。恐らくその指摘は正しいのだと思いますし、患者や医療現場の実態に関しても広く深く知っているのだと思います。
ただ、なんだかムズムズするのは、対談の時に一方的に喋らせておいて、後になってから後だしじゃんけんのようにこのような長々と呪いの塊のような批判を一方的に出してきたことですかね。
この記事の前提の対談も読んでたのですが、その時には確かに大した議論も反論もなく意外に穏便に終わったなと思ったんですが、その裏でこんだけドロドロと批判を溜め込んでいたとは…。

またもう一点気になるのは、確かに患者や医療の現場などの実態には詳しいのだろうし、当事者でもあるが故に課題の指摘も正しいのだろうけど、ではそれを解決するにはどうしたらいいかの提案は、記事を読んでもいまいち読み取れなかったこと。
あれが問題、これが問題と指摘は正しいけど、それに対して、ではどうアクションするのか?それがないように見えるので、なんだかムズムズするのかなと思います。結局、すごく綺麗な理想に向かって国なり公的機関がなんとかしなければいけないと、他力本願なことしか言ってないような気がするのですよね。
他人の問題点を指摘するのは簡単ですが、課題に対してどうすればいいのか、少なくとも自分は何をするのか、それがセットになってないただの指摘というのは、正論であってもムズムズします。

表現の自由は、言ったことの責任は自分で引き受ける覚悟と表裏一体で、バカなことをしたら批判は受け止めて当然です。ただまあ、批判する側も、批判だけ、出る杭は滅多打ちにするだけではなく、建設的な方向にお互い進めるような議論になるといいなと、常々思ってみたりします。

ではでは。
posted by tacryan at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする