2016年10月17日

虐待の悲劇を無くす想像力

何の気なしに毎日1エントリーgooブログ更新しようと思い立ち5日たちました。
ブログというもの自体はgoo以外の別のサービス使ってもう10年以上経ちますが、ここ数年はほぼ休眠放置だったので、毎日書くのが5日も続くのなんて8年ぶりの話でしょうか。スマホ凄いな。まあ、今は借り物のスマホ使わしてもらってるのでお恥ずかしくありますが(なぜかボディの色以外は借り物という気がしないけど)。

さて、子供が生まれてからこのかた、こういう記事にすごく吸い寄せられるし、胸がキリキリ痛みます。

「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした:朝日新聞デジタル

元々子供は好きなほうだとは思ってましたが、実際に父親になってみると、本当に子供というのは自分にとって愛しく、大事に守ってあげたくなる存在なのだと気づかされました。
なので、虐待やらネグレクトという話を聞くと、胸が痛くて痛くてたまらなくなります。

一方で、子育ての大変さ、またそれに向き合う母親のしんどさも身近に目の当たりにしてきて、衝動的にこのような行為に出てしまう感情や背景も、なんとなく理解出来なくもなくなりました(それを許すわけでは勿論ないですけど)。

子供というのは、可愛らしい時もある反面、あるいはそれ以上に、我々の思う通りになる存在ではないし、子育ても苦労する時間のほうが長いものと思えます。

思う通りにしようという発想がそもそも間違えであり、彼ら彼女らにも幼いなりに人格もあって、自分で自分なりに生きているのであって、我々大人は子供が育つのを手助けしてあげてるに過ぎない…とまでは少し言い過ぎかもしれませんが、とにかく子供を支配し思い通りにしよう、コントロールしようというのは間違いなんだとも思います。

だけどそういうの、知らない人も多いし、また身近に教えてくれる人もいなかったりすると、自分の思う通りにならないことに余裕がなくなり、不幸にもこどもに悪意を向けたり、愛情を感じなくなってしまう瞬間というものは、想像以上によくあることにも思えます。

また、子供に直接向けられなくても、代わりにその母親にネガティブな感情をぶつけるとか、そこまで積極的な悪意では無いにしても、そういう悩みや苦しみを想像することもなく共感や支援、協力を欠いてしまう(恐らくそもそもそんな思いに至ってない)父親とか周囲の人間が、母親を追い詰めて悲劇を生む原因となっている、そんな気がします。

何事もそうですが、他人の状況や心情に対する想像力さえあれば、戦争も含め世の中の問題のほとんどは解決に向かって進むと思ってるんですが、人間ってなかなか哀しいものですね。
自分に何が出来るだろうかと、そんな思いにふけってしまう今日この頃です。

ではでは。

posted by tacryan at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | News | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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