2004年11月02日

やりきれないねぇ

台風やら、地震やら、
大変なニュースばかりと思っていたら、
またしてもやり切れぬ悲惨な事件が起こっちまったね
ある程度予測はしてたけど、最悪な結末・・・

自然災害は、どんなに人間があがこうとも、
神を凌駕する力でも身に着けぬ限り、
抗いようも無いけれど
同じ人間同士、どうしてこうも簡単に

歴史は繰り返すものと、
恐らく人間という生き物に、自我という意識が芽生えたそのときから、
連綿と同じこと繰り返してるだけと
頭ではわかってるけど、さ

つーか、嘆かわしいのは、所詮他人事と、
何の臆面も無く「自己責任」とかのたまっちまう方々が、
沢山いらっしゃることだ

たとえ面識も何も無いとしても、
なんでそんなことが言えるのだ?
確かに、認識が甘かったのでは無いかと、否定はできないが、
それにしたって、こんなご時世に彼の地に赴くということは、
ぬるま湯につかって安穏と暮らしてる僕らとは、
雲泥の差で覚悟というか、意志があったに違いないのに

たとえば、それが自分の知り合いであるならば、
それでも冷静にそんなこと言えるのか?

所詮、面白がってるだけですか?
他人の不幸は蜜の味、自分のくだらない幸せかみ締めて、
今日も自慰的行為に浸ってるだけではないのですか?

少しでも相手のことを考える想像力があるのならば、
そんなこと、とても言えないだろうにと、
僕は思うのですが・・・

・・・ま、そういう自分だって、「日本人」っていう同族意識があるからこそ、
今回ことさらにこうして、意識してるのだとは思ってるんですが、ね。

やりきれないねぇ
posted by tacryan at 00:18| Comment(1) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月08日

むだい

遅くなりましたが
北の方々
お疲れ様でした
今週から 寂しくなります
頑張ってください
これからもよろしく

そんな今週の
第一日

起きて
電車揺られて

会社行って
仕事して

電車揺られて
帰って

酒飲んで
ゲームした

昨日は
用も無く早起きして
朝から黒霧島ちびちびやって
日がな一日呑みながら
ゲームした

黒霧島一リットルぐらい
どうやらさすがに
腹がおかしくなった

見えないのう 何にも
出口はどっちでしょう
探す気力も消え失せた

identity
即ち 自己同一性
乖離する 断層
進む 震度6強
自分で自分を 実況中継

Give&Take
即ち 安らぎという名の相互援助
Giveな気持ちだけで
ギブアップ
自分で自分に 説得工作

Shelter捨てたは 自分の決断
それはいまさら 自己責任
Flontierは既に 千客万来
農民生まれの自分なら
自己完結するしかねえ

A fool on the hill singing "HELP!"
てな。

あぁー
また

コメントしづらい
そんな「むだい」
こんな公開
それもどうかい

そいじゃ
バイバイ
posted by tacryan at 22:57| Comment(4) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月23日

365日目の孤独

春を越し
夏が過ぎて
秋を迎え
冬が終わりました


まだ 一日一回は
考えてたりするし
どこか 未だに
信じられてないようで


でも一年過ぎたわけだ


人生の区切り方はいろいろあるでしょうが
それまでの約20年と
それからの約10年
で、それからのきっかり1年

それもまた
自分にとっては大きな区切りで


悲しさとか辛さとか
そういうのは無くなったようですが
春の雨が目にけぶってますのよー
今日は


 今日も


消息知ることも無くなって
しばらく経ちますが
元気っすか?


まだ次の区切りは見えないねぇ
自分で区切っといてなんですが
まあ 自業自得と笑っておくれ

明日からまた
歩いてくわけですわ
long and winding road


そんなわけでさ
祈っていますよ
幸多からん人生を
本当 心の底から

また「うそくさい」って
言われるかもしれんね(^_^;)


でわでわ
posted by tacryan at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月03日

33th

帰りの電車の中でふと気づいたんです

最近の自分
人が人として生きてる上での
様々なものが
欠落してる状態なんだなと

とさかが無く、日の出の刻を告げることも無い
ニワトリ(♂)のような

それはそれで
自由であり
気楽でもあり
謳歌してるわけですが

さらに以前は、またもっと深刻な意味で
欠落人間だったわけだし
それよりはマシ?
一得一失

多かれ少なかれ
皆そうなんでしょうけどね
完璧な人間なんか
完璧にいないわけですから。




そんなことには関わり無く
時は巡る
今日は
自分が生まれてから何度目かの 
区切りのようですよ
思えば遠くに来たもんだ
めでたしめでたし

 ・・・・


ふむ?

そもそもそんな概念があるのも
人間だけだよな

しかるにやはり
自分は人のようですな

うん
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2005年07月15日

ガンダム石碑のうた

<ガンダム石碑のうた>
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091121275178.html


梅雨も明けてクソ暑さに
カエルも閉口する今日この頃
皆さんいかがお過ごしですか?

なんかボコっとリンクだけ貼り付けて、
記事も書かずに放っといちゃったんですが、
こないだ何気なく見つけた小ネタでした。

「ガンダムのテレビに見入る児は六才 戦死とは何ぞ我に問いたり」
               〜上記リンクの歌碑より引用〜

なんかとても、琴線に触れたんですよね、このうた

ガンダムに見入る6歳の児の
おばあちゃんが作者だそうです 
現在は既に他界されてるとのこと

てことは、このおばあちゃんって、
戦争(第二次世界大戦・太平洋戦争)を生きてきた人だと
思われるんですよね、きっと

必死で戦中・戦後を生きて、
子供を育てて、
孫もできて。

激動の人生も老境に差し掛かり、
何気ない平和な日常の中、
ぽつりとお孫さんが何気なく訊いた
「戦死」
って言葉の意味

その一瞬、やっと忘れかけていた
あの頃の思い出が
よみがえり
また
過ぎ去った月日の長さ、
あふれ出した想い、みーんな
この一首に込められてるんだろうな、と。

もしかしたらさ

このお孫さんのおじいちゃん
つまり、旦那さんだ
まさにその人こそ、
遠い戦地で英霊として散っていった一人だとしたらさあ
あまりにも切なくないですか?

その人の面影、お孫さんの、幼な顔に幽かに残る
子供のピュアな興味が発した言葉とはわかっていても

「おばあちゃん、何で泣いてるの?」


・・・なーんて まあ、
そんな連想が見た瞬間ボワッと頭をよぎってね
なんかそこまでコテコテな空想しなくてもって気も
するんですけど(恥)
とりあえず残しておきたくて
リンクをブログにはっつけて置いたんです
いわゆる文学的な見地から見て
短歌としての出来栄えがどうかなんてこたあ
俺にはわからんが、わからなくて十分だ

てことで、やっと記事書いたよ 
あー筆不精ですともさ 
posted by tacryan at 13:57| Comment(3) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

初めての「せんきょ」

9・11

アメリカでは、4年目の「WTCタワー」記念日に
全土が冥福を祈っていることでしょうが。

ここ日本では、衆院選の日です。

さてさて、ここまで何度か書いてますが、
今回初めて、俺ってば人並みに、
選挙のことについて考えるようになったんですね。
選挙権は放棄しないことにしようと。

で、とうとう行ってきましたよ。選挙。

実は、この年になって選挙行くの初めてなんて、
「いやーん恥ずかしい、やさしくして・・・」
なーんて。
いやまじでほんの少し、
投票所で何していいかわかんなくて
オロオロしちゃうんじゃないかと、心配してたんですが。

いやーまあ、さっさと終わっちゃうもんだねえ。
投票するって行動自体は、
3分ぐらいで終わっちゃいましたね。

みんな思うんじゃないかと思うけど、
あんなちっぽけな、薄っぺらな紙に
よりによって鉛筆で書いたものが、
日本の政治を動かすなんてね。
なんか、変な感慨を覚えたりしたわけですよ。

ただ、あの紙に候補者の名前と、
政党の名前を書くまでには、
自分は自分なりに、
自分の選挙権をどう使うのが
今後の日本のためになるんだろう・・・なんて
それなりに考え、悩んだわけですのよ。

確かに、僕の一票が、
直ちに政策を左右するものではないだろうけど。
でも、確かにその一票は、
自分がこの国の政治につながる証となるわけで。

ま、もう夜も遅いので、自分がどう考えたかについて
ここに長々書くのはやめときますけどね。
寝れなくなっちゃうし。
明日も早いし。

しかし、自民優勢とは思ってたけど、
ここまで圧勝とはねえ・・・
自民党がっていうか、小泉総理とその戦略に、
みんな票を入れたんだと思うんですけども。

微妙に気になります。
posted by tacryan at 00:38| Comment(2) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月28日

寸省

透徹として俯瞰
されど
Icurusは墜つるものか

朧が沁みるのも、まあ
アレだな

日常の螺旋
一時の断線
posted by tacryan at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

生と死、その意味を

今朝、いつものように仕事に行くため電車に乗ってたんです。

席に座ることができ、ウトウトと、あ、どこかの駅に着いたなと
思っていたら、突然ゴコッというような妙な振動を感じると共に、
列車が急停車。

警笛とも違う異様な、けたたましく響き渡るサイレン。

後で知ったんだけど、ホームにある緊急非常停止ボタンを押した
ときに鳴る音だったらしいんですが

社内放送で、
「当駅で人身事故が・・・」

人身って・・・え?
この電車?

向い側、下りの電車が移動した後、血相変えた駅員の人たちが
何人も線路に飛び降り、電車の下を覗き込みながら走り回っていて・・・
ふと、一人の駅員が、自分の座ってる席の斜め右後方2〜3メートル
ぐらいのところで、怒鳴ったんですよね。

「いたいた!!発見!!!!」、と。

やがて、怒号の飛び交う中、駅員や駆けつけた救急隊員、警察の
人たちが僕の見ているすぐ外の線路に集まってくる。手にはみな、
大量の白い布や担架、ブルーシートなどを持ち、何人かが僕の
乗っている車両のすぐ下に潜り込んでいく。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000056-mai-soci

なんといっても一番、生生しく感じたのが、暗い緑色をしたビニールシートが
運ばれてきているのを知ったとき。手術着なんかでよく使われているのと
同じ色のアレなんですが、要は・・・飛び散った時に一番精神に与える
ショックを和らげる色らしいんですよね。

・・・この時点で、一部電車のドアが開き、外に出れるようになって
いたので、電車遅延で遅刻する旨会社に連絡しなきゃいけないことも
あり、自分も電車から降りました。

・・・いや。

正直なところを言います。
それ以上、その席に座って居ることが、耐えられなくなったんだ。
だって、自分の居る場所の目と鼻の先で、電車からは件の緑色のシートに
視界を遮られることも無く、明らかに被害者の方の搬出されるところが
目撃可能な位置だったから。

ただ、ホームに降り、騒然とした空気の中やがて被害者の方の搬出が
完了して、遂に当該列車が移動していったぽっかり空いた線路、どうにも
ならない衝動で線路に近寄ってみた。
平凡な日常の中で突如訪れた悲劇の痕跡。最悪の想像よりは大分
おとなしいと言うと語弊があるというか、ただまあ、かなり常態に近い
ものではあったと思いますが、線路の枕木などに、何十メートルかに
わたり、やはりところどころ残っていて。

最後、その場にいた駅員さんが、他の格下らしき駅員さんに発した指示を
聞いてしまったのですが、

「花買ってきて」

この一言が、あまりにも目の前の現実というか、やりきれなさ
みたいなものを象徴しているようであり・・・

被害者の方は、若い女性の方であったようです。

自分が居た、すぐ下で。
一つの命が、天寿を全うしたという言葉とは、恐らく
あまりにもかけ離れた過ぎた形で、
失われていったのだという。。。

普段は、ロクに考えてもいない、あるいは目を背けているだけ
なのか、即ち「死」とは、実は当然のごとく今の「生」と隣り合わせな
ものであると。
そして、だからこそ、今日、今、この時を
自分がこうして生きている、生きていられるという意味について、ね。

自分がその場に居合わせたということから来る、
一過性の都合の良い感情なのかなんていう風にも自問自答は
あるのだけど、ともかく今日、今は、被害者の方のご冥福を、
心の底から祈りたいと思います。

合掌










posted by tacryan at 23:27| Comment(1) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

人生ってやつぁねw

ふとですね、最近忘れてたこと思い出してですね。
なんか「どうなんだかな?」ってね、唐突に気になったですよね。


ま、思い出さなければよかったなと。ズドーンとね。。。
あー古傷がうずいたwww


ついでに、また、なぜかふと他のこと思い出してみた。
で、「あーそうか・・・そうなんだー・・・」と
今更ながら驚いてみたり。


人生ってやつぁね、ホント、ね。 (´・ω・`)
 
 
 

続きを読む
posted by tacryan at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月24日

知識の新陳代謝も活性化することが大事

404 Blog Not Found:知識を呪いから使い魔に変えるオレナリの方法

いくら知識ばかりを詰め込もうとしても自分がちっとも凄くなった気がしないのは、inputばかりでoutputが足りないからなのね。容量には限界があるんだから、inputを処理するたびに領域を開放していくことで、さらにinputさせることが可能。しかも、outputという処理に際しては得た知識を咀嚼し、熟成して、新たな価値を創造しようと無意識でも頑張るわけだから、さらに効果が上がる。

仕事をしてると、全然こんなこと考えたこと無いけど、確かにそういうサイクルを否が応でもやってるみたい。自然と、仕事のエリアでは昔の自分に比べて飛躍的に凄くなってる実感があるが・・・さらにこれを意識してみることで、もう少しだけ、凄い自分により近づけるかも知れませんね。

posted by tacryan at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

「それはおかしい」と感じたら

「それはおかしい」と感じたこと、単にそれを指摘するだけなら誰でもできる。大事なのは、「どこがどうおかしいのか」という分析と、「どうすればおかしくなくなるのか」という洞察も含めて指摘するよう、促すこと。

単に感覚だけの「おかしい」では、何も変わらないわけで。勿論、ここで言う「変わらない」の対象は、指摘されたものと同時に、指摘した本人自身のことも含まれていることは、言うまでもないわけで。

posted by tacryan at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月01日

シャワー浴びてる最中にハッと気付いた真理?のようなもの

結局あらゆる関係性において、最大にして唯一の到達点は、「当事者同士での合意に至れるかどうか」ということだ。当事者同士の調整によってどうしても合意に至らなかった場合にのみ、過去の事例を元に決め打ちで立法された法律に基づき、司法によって強制的な合意点が弾き出され、それを行政が実力で執行することで、有無を言わされぬ社会的合意を無理やり生み出すだけのこと。

ちなみに、「当事者同士での合意に至れるかどうか」の前段階として「当事者双方が相手方のことを正確に理解できるか」ということがあり、そのためには「当事者双方がそれぞれ自分のことを正確に相手方に伝達できるか」ということがさらに前提になってくる。そしてそのためには、さらに遡って「当事者双方がそれぞれ自分自身のことを正確に認識し把握している」ということも必要になる。

とても基本的なことなんだろうが、それゆえ明確に認識することが出来てないことも事実で、だからこそ人は迷い、判断を誤る。この基本を常に踏まえて芯をぶらすことなく冷静に物事を見ていけば、問題がどこにあるのか、相応に分析し対応出来るのではなかろうか。



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2008年04月08日

逃げるって言うな、戦略的撤退って言え!(それとはちょっと違うか)

404 Blog Not Found:逃げ上手は生き上手

ふーむ(`・ω・´) 。
そういえば、自分も最初に社会に出てコールセンターに勤めたとき、逃げましたな。

そもそも電話で人と話すの嫌いというか苦手だった上に、ITとかPCの知識もスキルもまだまだ乏しかったんで、毎日泣きそうになりながらセンター通ってましたんで。なので、時のマネージャーに泣きついて、なんとかコールの無い配属先に異動させてくれと。言い訳なんかしません、あれは逃げでした。

ただ、別に全てを放り出して逃避したわけでは決してなく、自分自身の長所を、自分自身が苦手なことに邪魔されること無く、今よりもわずかでも発揮できる場所を見つけて、自分に自信が持てるようにあるいは自分がもっと余裕を持って成長できるように、我ながら渾身の決断だったようにも思う。実際、メールサポートという場所に逃げて4年弱、そこから今の会社に移って2年、当時の自分から考えたら、結構遠くて高い場所まで流れ着けたもんだとは思うです。

就職してから現在まで、自分の人生の中でさまざまなターニングポイントの連続なんだけど、その中でも一番色々考え抜いた末での決断である「逃げ」だったのかなと。ある意味、それまでの自分には無い発想を初めて出来た瞬間であったし、そういう決断を下せるようになったと言う意味で、成長だったのかもしれませんね。

「逃げ」という言葉のイメージはともかく(というかこれらの記事においてはあえてネガティブなイメージの言葉を使いつつそれを肯定するという手法で読み手の発想の枠を拡げようと画策してるようにも思える)、ただガムシャラにその場で無駄に手足をジタバタさせるよりも、思い切って考えを変えて見るということ、またたとえ「逃げ」であっても、そのためには自分自身の決断と行動が必要なわけで、そういう意味ではそれが自分自身を変えるというより高度な戦略へのステップにもなっていると考えてみたら、いいんではないだろうかしらね。

posted by tacryan at 23:55| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

逃げてもいいけど特効薬ではないよ

なんか昨日のエントリーを書いた後にふと思いだしたんだけど、それとは対照的に、逃げたことで最低のどん底に自分を追いやったこともあったんだよね。

で、その時と、昨日書いた「逃げ」とで、どこが違うかちょこっと考えてみたんですが、

 1.逃げた先のことをあまり考えずに逃げちゃった。

 2.それまでの自分を全部否定して逃げちゃった。

結局、この2点かな。どうにも辛い境遇であったことは同じだったんだけど、その時はもう、破れかぶれで、とりあえず後先あまり考えずにその場から逃げちゃったんだよね。これがために、自分自身がそれまで積み上げてきたもの、特に人間関係なんだけど、それら全てを断絶しちゃっておきながら、逃げてから「はて?」と気が付いたら何も無かったんですよね。

 ※「何も」とまでは言いすぎだけど、自分がそれまで尊重していた
  価値観とかそういう面では、全て置き去りにしてきちゃったと。

逃げたはいいけど、「一体オイラ、何をすればいいの?」という空白に陥った感じ。かろうじて残っていたものはあるけど、それまで軽んじてきたものであるだけに、どう扱っていいかわからないし、相当さび付いちゃってて直ぐには使い物にならない状態で。でもとりあえずその空白をなんとか埋めたくて、挙句しょうもないものにハマリ込んで、ますます自分を否定して・・・そんな泥沼状態で、20代半ばの時期は過ぎていってしまったんですよね。

てことで、とりあえず「逃げ」という緊急避難もありだけど、逃げた先でどうしようとのイメージは持ってたほうがいいよねってことと、「逃げ」たとしても自分自身まで過去に全部打ち捨ててきちゃうのはまずいかもねって、そこは自分の経験上思うことなんです。
少なくとも、「逃げてもいいんだ」というメッセージを、単に免罪符にしてしまうのも、それはそれで短絡的なのかなと思ったので、忘れないうちに書いておく。




posted by tacryan at 23:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

「居場所」

404 Blog Not Found:居場所の三原則


↑を今更読んで、

ディスカヴァー社長室blog: 3分間コーチとホストクラブと居場所のお話 ●干場


↑でこんな言葉に出会いました。

自分の居場所は、相手に居場所を与えることによって、生まれる。


これがちょっとばかり刺さってきたのは、またしてもオイラ自身が変化してきてる証拠かしらーなんて恥ずかしげも無く言ってみる。

確かに、以前は、自分が何をすればとか、何をしたいとか、そんなことばっかり考えてて、そういう居場所を与えてもらえないことに「ムー(´・ω・`)」ってなってることも多かったなと。ただ、それでも自分なりにやりたいことを、隙間を見つけてはねじ込んでみたり、ひっそりこっそり種まいてみたり(十中八九は気づかれずに踏まれて忘れられるけど一個くらいはなんとなく芽っぽいものを出す)して足掻いてるうちに、なんだか知らんがいつの間にか、狭いながらもそれなりの居場所が出来てきたようなんですね(この辺はdankogaiさんの3原則が大なり小なり無意識にだけど実践してきた過程かな?)。

で、そうやって得た自分の居場所をどうやって維持し拡げていけるかって段階になって、いつの間にか無意識のうちになんですけど、他の人の居場所を考えてあげることで自分の居場所も広くしていけることに、気づいてた気もします。
これが以前の自分なら、全部オレがオレがって感じで、むしろ自分の居場所を狭めてたような気もするし、未だにその傾向は端々に残ってるとも思うけれども、これまで無意識だったところを、今回明確に意識できたことで、また何かやってけるような気分になりました。

とりあえず、明日はうちの会社の新入社員に研修と言うことで、何やらサポートというお仕事に関する講義(というか講演?)をしなければならんとのこと。まだ何をどう話そうかさっぱりまとめられてないんだけど、早速↑のことも念頭において、考えてみよっと。

・・・明日の午前中にね(´・ω・`)
posted by tacryan at 23:49| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

書けないことは書きたいことが無いわけではなくむしろ書きたいことが多すぎてそれに自分の作業効率が追いついていないからである

せっかく1日1エントリのペースに追いついたにも関わらずいきなりエントリ何書こうか行き詰った理由を考えていたらこんな↑屁理屈を思いついたりしてみる。もっとも、あながち屁理屈でも無く、実際に多種多彩な情報を集めて取捨選択し自分なりの考察をまとめるという作業の効率がまだまだ自分には足りていないし今後も自分で自分を満足させるだけのパフォーマンスの実現なんてやれんのか?などという獏とした不安も同時に感じてみたりとか、そういうよくわからない煩悶ともいえない煩悶でとりあえず今日のエントリのお茶を濁しちゃったあはあはあは(´・ω・`)
posted by tacryan at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

無意識の剣

人が人として生きていく中でそれがどんな大事な人であっても人を傷つけることは不可避なのだと改めて思い知らされる。自分がそこに思いを至らせることができない、どうしたって不完全な存在であることも。

ただ、仮に傷つけてしまったとしても、決して無意識だったからとか言い訳に走るのではなく、そのことをしっかりと受け止めつつ、どれだけそれ以上のGiveが与えられるのか。それは「やさしさ」と言ってもいいかも知れないし、あるいは「包容力」とか「度量」といった言葉で表現されるものかもしれないけど、せめて少しでもそういう人間であるよう努めていきたいなとは思うのです。

ありがとう。

posted by tacryan at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月03日

時間を作る=無駄な時間を消す、わかっちゃいるけど・・・

あなたに自分の好きなことをする自由な時間を取り戻す20の方法 - GIGAZINE

非常に良記事にて納得できるのは、既に自分でもわかってるから。わかってるんだけど、ついつい嫌なことから逃げたくて、先延ばしにしてしまうわけ。しかも、先延ばしにする理由を見つけたくて、ダラダラとネット見たりメールチェックしたり・・・普段してることの逆をやれば、どんだけ効率的に時間を使えるんだか(´・ω・`)。

明日からまた、少し意識して。

続きを読んでもらえると幸いですぅm(_ _)m
posted by tacryan at 22:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月04日

改めて抱負など

正月休みも早いものでもう終わりだなあ (´・ω・`)。
明日からまた、仕事の毎日ですよ ┐(´ー`)┌。

ということで、ここらで改めて、今年の抱負などを。

まず第一に、勉強とか、仕事とか、もっともっと自分を高めていかないといけないなあ・・・というのが今年の抱負。

思い返せば、昨年は、後半になればなるほど、自分の未熟さ・至らなさを痛感することが多かったかもねと思います。そこそこ自負も出てきたこの頃だけど、それが逆に天狗になっていたのかもというか。今一度顧みてみると、それなりに知識も付いてきているとはいえ、特に資格を持ってるでも無し、特筆するような業務上の実績もそんなにあるわけでは無し。。。
もっともっと、自省して、切磋琢磨して、目に見える形での武器を研いでいかないと。そう切に痛感する年末でありました。

具体的には、そろそろ法律系の資格試験など、真剣に勉強して受けてみようかなと。ひとまずはビジネス著作権検定とか、法学検定試験、そして出来れば、行政書士の資格を、目標にしてみたい。
課題は、集中と継続ですね!

次に、こないだも掲げたけど、年々増える体重とお肉を減らすことw
昔の写真と比べてみて、自分でもホントに最近顔の輪郭とか体格の違いを痛感するので^^; 運動もしてないし、ちょっと早足でウォーキングしたりするだけでも足に来るってのもどうかと orz。
結婚してから大変ありがたいことに奥さんに毎日ヘルシーなご飯を作ってもらって、食生活は劇的に改善してるはずなので、何で体重が減らないのかよくわからなかったんだけど、ちょっと顧みてみれば、運動と毎日の晩酌かなと。酒、飲むと、脂肪の分解が弱るらしいしね。この辺のポイントを重点的に頑張らないと。

以上、今年の抱負を掲げてみました。
どちらも、課題は集中と継続ですね。

あ。ブログの更新も、同じだなぁw







posted by tacryan at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

仕切りの能力

どうも自分には仕切りの能力が欠けているんだなあと、最近つくづく痛感しています。おかげさまで、ここのところすっかりダメダメ続き。まあ、そこは経験も無く適性も怪しいとわかっちゃいたですけど、改めて見せ付けられると、凹む気持ちは否めませんわな。

原因を考えると、やり方も知識も無い状態で、それでも勢いだったりハッタリだったりで物事を進めるということが出来ないという。良くも悪くも自分にウソがつけない性分なんだろうなと。他人に対するコミュニケーションも下手だし。
で、逆に今度は自分のフィールドだと、自信満々に自分の考えを曲げないで、他人をつい軽んじてしまって角が立ってみたり。

あーあ・・・

なあーんてね。
以上、チラ裏でした。

---

ブログ書こうと思わないでもないけど、いざその気分が盛り上がるのって、こんな時間なんだよなあ(´・ω・`)。結局、こんなどうでもいいようなエントリーばっかりになる。
土曜日に船に乗ってきたり、日曜に新しい携帯買ったりとか、人生、ブログに書くネタも無くはないんですけどね〜。


posted by tacryan at 01:37| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

ちょっと意識して自分のしてきたことを継続的に振り返るだけでも人生って向上していく・・・かもしれない

あなたの思考力を高める、あるシンプルな方法・・・ - IDEA*IDEA 〜 百式管理人のライフハックブログ

これは確かに、いろんな効果があるような気がするなあ。

そういえば、最近自分が何をしたか、あるいは何をしようとしてたのか、忘れちゃってることも多いような気がします。みんな日々の生活に追われてるんだね。

ちょっとどんな効能がありそうか考えてみると、まず思い出すことで、記憶力が鍛えられそうですね。一時的な記憶を思い出す能力と言うかな。

次に、自分がしたことや身に起こった出来事を振り返ることで、定期的に短いスパンで色々と反省することができます。勿論、それを明日に向けてどう改善しようかとかそこまで考えれればよりベターでしょうが、そこまで小難しく考えなくても、日々の暮らしで何気なくスルーしていってる小さなことが、ちょっとだけ明確に意識されるだけでも、大分違うでしょうと。

もう少し発展させると、日記とか文章なりなんなりで記録することで、漠然とした記憶や概念、考えなどを、文章化したり図にまとめたりといった力も鍛えられそうです。もう少し進めて、このようにブログに綴ったりして他の誰かに見られることなど少しでも意識すれば、ちょっと前にこのブログでも書いたような効能も期待できるかもしれません。

さて、毎日寝る前に、自分がその日したことを事細かに思いだす、簡単なようで、意外に難しいですね。早速自分も思い出してみよう。

7:30 起床 ご飯食べてシャワー浴びて。
8:30 電車に乗って小一時間寝る。
10:00 出勤。お仕事開始。
   エクセルいじったり管理ツールいじったり契約書のこと考えたり
    〜仕事のことはあんまり書けないね〜
14:30 お昼ごはんにそばを食う。
    その後またエクセルいじったり管理ツールいじったり契約書のこと考えたり
19:00 退社。電車に乗ってモバイル版が出たmixiアプリを色々いじってみる
20:00 帰宅。晩御飯。その後モンハンやったりテレビ見たり。
23:00 風呂入って、ブログ書く ← イマココ

うーむ。
ブログに書くには、仕事のこととかサラリーマンだと詳しいことは掛けませんね。この辺が難しいな。

ただ、もしブログに書けないとしてもどんな仕事をしたか思い出してはいるし、かつこの「書いていいのか書かないほうがいいのか」という判断を下すと言うプロセス一つ取ってみても、ただ漫然と風呂入って屁でもこいて寝るだけよりはマシなのかなと。

そんな風に思う、今日この頃です。










posted by tacryan at 00:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

「当事者意識」は物事をうまくやるための理の一つかもしれない

3日ほど、ブログを書きませんでした。


3日連続で更新して一旦気が抜けたのと、なんだかんだ家でPCを弄る暇を見つける手間を惜しんでしまった(土日でいくらでも時間を見つけられたはずなのに)。とはいえ今の時代、PCが使えなくてもスマホがあるわけで、そういう意味では自分の怠惰の責任逃れの言い訳でしかありません。

人間そうそう簡単には意志が鍛えられはしませんね。。。


今日こそと思って、キーボード叩いております。

なかなか何を書いたらいいか、勘が鈍ってはおりますが、経験上なんでもいいから書き続けてると、徐々にいろいろ書くことが見つかる、思いつけるようになってくるので。


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さて、今日こんな記事を読みました。


「成長」にフォーカスした書き方になっていて、記事のタイトルもなんだか「意識高い系」な匂いもしておりちょっと気恥ずかしい感はあります(笑)。

ただ、あくまで個人的な振り返りと解釈ではあるのですが、何か物事が上手くいかないようなときは、自分の振る舞いや意識の中で「当事者意識」が欠如している、またはそう周囲に見られてしまったことが、原因の大きな一因を占めている場合もあるのかな?と気付かされました。

自分は評論家気取りで、あくまで他人ごととして距離を置いて、あれこれと懸念点などを物申す、みたいなこと。そういうのが自分の悪いところと、何度か人からも注意と助言を受け、気をつけるようにはしてはいたのですが、そのホントのところはまだ十全には理解していなかったのかも。耳が痛い。

組織や社会の中で物事をうまく進める「原則」の一つなのでしょうね

もう少し考えを進めてみると、理屈としては気がついていた、分かったフリはしていたのかもしれないんですよね。それでもそういう振る舞いをしてしまうことがあるのはなぜか?

その振る舞いに「見返り」があるからですね、きっと。

他人ごとと距離を置くことで目先の面倒(自分が何かやる羽目になること)を当面回避しつつ、そのくせもっともらしい評論・助言めいたことを言って、自分の価値を高めようとする。
意外とそれが、一見通用してしまうように見えることも多いんですよね。

ただ、その場ではそれが通用したように見えても、陰では徐々に自分への信頼や評価を下げてしまっていて、それが積もり積もって気がついた時にはすっかり信頼を無くしていて「何がどうなってしまったんだろう、こんなはずではなかった」となることもあります。長い目で見たトータルでは、やはり目先の逃げは最後に利息を伴って負債として自分に返ってきてしまう。
また、そういう小手先が通用しない人や場面に出くわして、同じような振る舞い方をしたら、ドカンと痛い目を見ることもありますね。

記事のテーマ通り、自分を成長させるという意味でも、当事者意識があるのと無いのとでは天と地の違い。責任の負い方、覚悟が違いますからね。自然と自分の能力の振り絞り方も違ってくるので、Stretchの効き方も大きく差が出ることになります。

当事者意識を持って事に当たるということ、しばらく意識して自分の習慣の一つと出来るようにしたいです。

posted by tacryan at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

地道にコストかけて人生のリターンを得るべし

人間は弱いもので、ほっとくとついつい、コストかけずに面白楽しいことを、優先しがちです。
少なくとも自分は、そういう傾向が強いです。

コストかけずに面白楽しいことは、総合的にみれば、楽しさあるいは達成感だったり、感動のレベルは、ささやかなものです。
それに刹那的で、何も後に残らないか、残ったにしても汎用的な財産にはなりません。

なんだか、それって安上がりなように見えて、実は随分と損をしているんだろうなあ、と。
まあ、実は自分でも十分わかってる話なんですけどね、直視しないようにしてただけで。

コストのかけ方は、色々あるでしょう。
コスト=リスクという考え方もあるかもしれません。
まずは、地道な努力の積み重ね。

そんなことを、ボンヤリ、決めてみます。改めて。

ではでは。

posted by tacryan at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

書き留めるということと、書くということ

日曜日あたりからひいていた風邪が、一昨日あたりから鼻と喉にきて、鼻水は止まらないし鼻詰まりも酷いし、喉が痛くて咳もしばしばという塩梅で、いささかしんどい今日この頃です。
いい加減そろそろ快方に向かって欲しいもの。

ちょっと思い付いたことや、ニュース見て条件反射的に思ったことなど、Twitterになるべくリアルタイムで書き留めるようにしています。昨日から(笑)。
これはもう割りと、ちょっとした意識付けで、目に見えてやるようになるんですね。自分に少しだけビックリ。
8年くらい前にも1度それが出来てた時期があったんですが、当時はPCがメインだったのですね。なので、いざ今やってみると、スマホというパーソナルデバイスがいかに便利なものか、久しぶりに肌感覚として実感しました。

ただ、blogとなると、そうは簡単にはいかないですね。何せ、ある程度まとまった思考を文章にまとめないと、Twitterで全部済んでしまいますから。

あまりにもプライベートすぎる日々のたわいもない出来事を綴った日記だと、SNSのほうが書く場としてはふさわしいと私は思いますし。

まとまった記事に出来るネタを拾えるよう、感度を高めること。それと同時に、ネタを膨らませるためにどうしたらいいか考えるクセを付けること。そんなところが必要なんだろうなと、今日の気付きとしておきます。

あー早く風邪治ってくれい。
ではでは。
posted by tacryan at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

自分で決めたことはやりきってみるもの、まずは形にしてみるもの

大きな課題を抱えると、それで頭がいっぱいになり、他のことを考える余裕が失われがちです。
今の自分が、まさにその状態。

まあ、前々から取り組まねばとざっくりイメージは継続的に頭のなかで考え続けてはいたのですが、いざまとめようとなると、あれも気になるこれも考えなければと思考がとりとめもなく膨らみ、大事な「まとめる」作業が進みません。

他の人に課題ややりたいことを分かりやすく、理解してもらえるように「まとめる」こと。難しいですね。そこそこ経験を重ねても。

あれこれ考えすぎて、実行に移すのが遅いのが欠点と何度も人から言われてるし、自分でも重々自覚はしている部分なので、明日こそは何としても形にしていく部分に意識をおいて、頑張ろうと思います。
あんまり考えすぎず、割と適当にやるくらいでちょうどいいんだよな、私の場合は、きっと。

そんなわけで、今日はTwitterとかもあんまりはかどっておりませんw おりませんが、そんな中でも自分で決めたことはやりきってみるのも大事。ということで、今思いついたことを愚直に、適当にブログ記事として書きなぐっております。何か身になることを信じて。

ではでは。
posted by tacryan at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする