2016年12月06日

キュレーション()的な情報を何故人は好みたがるのか

往々にして人は、真実よりも「自分に都合の良い、一元的で単純化された極論的な情報」を好み、信じたがるからかなあと、思っています。
自分にとってほろ苦い真実をありのままに認めて受け入れることは難しいですからね。

また、YesかNoか、黒か白か、善か悪か というような、単純な二元論を好むというのもありますね。ニュートラルなところに立ち止まれないというか(理解出来ないとまでは言いませんが)。 つまり、あるルールなりに対して「黒ではない」という事実があったときに、だからと言って「白である」とは限らないはずなんだけど、「黒でない」んだから「白ってことなんですよね」と即座に直結させてしまう人、結構多いです。

あと、人は一元的な単一の評価軸で評価を下したがる傾向もありそうです。 質の異なる複数の評価を並列で検討するのは複雑で面倒ですから。
例えば、法律には違反してなくてもモラルというか善良な多くの人の感性的には反してる物事って沢山あると思いますが、結構な割合で人は法律かモラルか、どちらかの評価軸だけをもって総合的な結論を決めたがりますよね。一元的でわかりやすいのを好む 。

こういう多くの人に見られる人間の弱さ的傾向があるゆえに、実はそうしたニーズに愚直に対応して「見られる」ことをシンプルに追い求めた結果のあのキュレーションメディア()の横行であり、またいわゆる「マスゴミ」が幅を効かせるということになってるのかなーと。

あ、あと、人は他人をディスるのが好き、ディスられてるのを見るのが好き、という下世話な傾向も、このことに加担してるかもしれません。

裏を返せば、こうした扇情的ではあるけれど信頼性や正確性の欠如した嘘まがいの情報に踊らされないためには、自分にとってほろ苦い真実でもありのままに認めて受け入れる準備をしておくこと、二元論で性急短絡的に結論を急がないこと、面倒がらずに多角的多面的な評価軸でよくよく検討してみること、他人をディスりたくなる衝動を抑えること、などがコツとして挙げられそうです。

情報リテラシー。自分自身もつい扇情的なタイトルの記事追いかけたがるところもありますし、しっかり出来てるとまでの自信はありませんが、せめて自分の子供にはデジタルネイティブとして踊らされるようなことの無いよう、うまく導いてあげようと思います。

今日のところはこんな感じで。
ではでは。
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2016年12月05日

キュレーションメディア()問題について雑考

昨今盛り上がってて興味深くニュース等は横目でチラチラ眺めてはいましたが、当初自分が予想したよりももっと大きな社会問題化してて、正直ビックリしています。
なんだかんだ炎上しつつも、どうにか上手いことやり過ごして、いくつかの香ばしい記事が削除されて気持ち幾分か監査体制の体裁が整えられつつも、サイト自体はこれまで通り続くと思ってましたので。

医療系については、とりあえず医師法や薬機法(名前変わったの知らんかった恥ずかしい)やらありますし、その辺コンプラとかどこも結構気を付けてるもんだと思ったんですけど、そうでも無いんだなっていうか、むしろ屁理屈的にはあながち明らかに違法とまでは言えないグレーゾーンということで理屈は立ってたんだけど、もはや理屈ではない素朴な良心と、過剰な正義への便乗群衆のうねりに呑み込まれたってことですかね。

本質的には、「キュレーション」という錦の御旗に隠れて、他人の書いたものをうまくパクってコンテンツの安価な大量生産いや粗製乱造のインチキくささに、そこに旨味があることを知りつつもビビって踏み込めなかった人たちに「上手いことやりやがってこんちくしょうめ」とヘイトを集めてたところに、薬機法のことやら素朴な著作権盲信主義者たちの怒りもうまい具合に合わさって、爆発的な炎上につながったということで。

まあ確かに、他人が精魂籠めて?作った著作物的なものを、他人のふんどし的に何も説明もせずうまくパクるなんてことには自分も否定的だし、自分は絶対に加担したくはないとは思います。

ただ、パクりにも功罪はあるかと思っていて、文化の発展なんてパクりの歴史ですし、元の作品への尊敬を忘れずにさらに素敵なものとして醸成させていくようなもの、正々堂々とした二次利用なんかは、全体としては社会の利益となるものも多いですよね。
「キュレーション」なんてのも、元々のピュアな意味合いとしては、雑多で探しにくくてようやく探し当てても今度は内容が知らない人には難解で分かりにくい、ピンと来ない情報ばかりだとハードル高すぎるので、そこを大多数の専門家じゃない人にもある程度分かりやすくかみ砕いてその人の必要な情報に探しやすく置き直してあげるというものが最初にあったと思うので、その理念自体は素晴らしいものだと思っています。

一次情報、信頼性を監査されている専門的に書かれた情報というものは、往々にして知識や前提の足りない多くの人にとっては難解だし、自分が今知りたいシンプルなニーズに対してはピンポイントでは解にならないことも多い。マイクロソフトのヘルプなんかがいい例ですよね、PC疎い人があんなの読んでも到底意味が分からないと思うし、その人の疑問点にピンポイントで効いてくる情報をうまく抽出するにもハードル高いと思いますし。

そんな、情報の完全性、信頼性では秀でてはいるけど、誰にでも直接「解」にはしにくいコンテンツばかりになるのも、なかなか息苦しい世の中になるのではと思ったりもします。

大体、そういう情報を崇拝してできない人を情弱だなんだと問い詰める人って、内心の目的は物知りで頭が良くてすばらしい我等をあがめよ、情弱は我らの前にひれ伏し崇めやがれ的な思想が透けて見えるやつも多いので、それはそれで情報格差の嫌らしい囲いこみみたいで、なんだかなあと思うことも多いです。

元記事をもっと多くの人に分かりやすく面白く価値のある情報に「キュレーション」する自信があるのなら、元記事の作者に敬意を忘れないことは大前提ですが、隠したりせず堂々とパクったらいい。誤解を恐れずに言えば、そんな風にすら思ってみたりします。

肩凝りが幽霊のせいだとか、吉○家アレルギーのすくつみたいな、どう考えてもアレな記事は言語道断ですし多いに反省してほしいですが、多少パクりであっても元記事を更に大衆に分かりやすく良質な読み物に出来ているコンテンツも多々あるんじゃないかなと思います。
単純に全部黒歴史として葬り去るのではなく、そうした記事は元記事作者に平身低頭謝り倒してでも、改めて後ろぐらいところがないように処理をして、今一度陽の目を見せてあげる心意気まで、持ってほしいものです。…とはいったものの、そんなことしたらコストがエライことになるだろうし、無理だろうなあ。

グダグタですが、今日のところはこんな感じで。大きな問題になったので、何か自分でも考えを幾分かでも文章化しとかないとと思ったもので。

ではでは。
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2016年12月04日

息子ちゃんが熱を出してしまったので本を読む

昨日、寒空の中イルミネーション見てテンション上がってはしゃぎすぎちゃったからなのか、息子ちゃんが熱を出してしまいました。朝起きたときはいつも通り元気だったんですけどねえ。

まあ上がっても37度台で留まってくれてるので、インフルエンザとかそういう大変なものでは無さそうですが、元気も無いし寒がったりしてたし食欲も無し、今日は1日外出はせず、家で休むことに。
日中も寝てたり、起きてても布団にくるまって大人しくテレビ見てたりなので、様子は見てあげつつ、いつもより手持ちぶさたなので、先週の研修の振り返りをしたり、本を読んだりして、こちらもまったり過ごしました。

ちなみに、読んでた本は「幸せになる勇気」。アドラー心理学を青年と哲人の対話形式で描いてベストセラーになった、「嫌われる勇気」の続編ですね。


まだ2章までしか読み終えてませんが(それでも今日の二時間ほどで本の半分くらいまで読んだのかな)、確かに、前作でなんとなくわかったような気にはなったけどまだ腹落ちしてないような部分の理解が、より強化されていく感じがします。
私がここで書くほどのこともありませんが、対話形式で分かりやすいし、スラスラ読みやすくあっという間に引き込まれてしまうので、いいですね。

ただ、対話形式の構成の特性上、特にまとめなどがなく、議論が勝手にどんどんあちこちに目まぐるしく展開していくため、しっかり身にするには、自分なりに学びや気付きを体系立ててまとめて振り返っとく必要はありそうです。私も前作読んだけど、そこまではしてなくて、他のアドラー関係の本との合わせ技でなんとなくわかった気にはなってましたが、いざ論理的に何か説明してみろとか言われても出来ないレベルにしかなく。まあ読んだ本を自分なりにまとめて振り返ってみるとか、そんな習慣が無かったからってことなんですけどね。

そんなわけで、読み終わったらこのブログででも、ざっと振り返ってまとめてみようかとおもいます。書評ってほど偉そうなもんでは無いですが。
ではでは。

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2016年12月03日

さいたま新都心のイルミネーション

今年の冬は寒くなるのが早いですね。

というわけで、やっと12月になったばかりですが大分冬も本格的になってきた気分ということで、さいたま新都心のイルミネーションを見てきました。冬の風物詩と言えばイルミネーションまたの名を浮かれ電飾ですからね。

今の家に引っ越してから毎年、12月クリスマス近くなると、イルミネーション観るのが習慣になってます。小さい子供は喜びますからねー。

ちなみに昨年などは、けやき広場(スーパーアリーナのほう)でミニ蒸気機関車が走っていて、鉄道好きなうちの子供には最高だったんですが、今日は走ってなくてガックリ。いつもはもう少し遅く、クリスマス近くなってから行ってたので、今年はちと早く来すぎちゃったのかも。

仕方ないので、コクーンの方に向かって歩く。コクーンもかなり綺麗に電飾してあって満足。ついでに子供の遊具広場で息子ちゃんはひとしきり暴れまくって、最後にコクーンで晩飯食べて帰ってきましたよ。

ま、そんな他愛もない休日の1コマ、今日のところはそんな感じで。寒い中長い間外にいて結構歩いたため疲れたのかエライ眠いw
ではでは。

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2016年12月02日

リーダーシップとはなんぞや的な研修を受けてきました

昨日今日と、社外でまるっと2日間、チーム作りとリーダーシップとはなんぞや的な研修を受けてきました。

今年の冬にも1度、同じリーダーシップ関係の研修を受けたことがあるのですが、前のやつは「7つの習慣」をベースにビジョンの重要性や計画など理念や理論的な部分がメインだったのに比べ、今回のはチームビルディング、コミュニケーションや信頼関係の構築など、より具体的かつ実践的でメンバー間の関係性の調整にどちらかというと比重を割いた内容で、また新たな気付きを得られたかなと思います。

印象に残ったというか、自分に足りない、役立ちそうと思ったところを、今のうちに記憶引っ張り出してメモ。

  • チームのステージング、タックマンモデル。形成期、混乱期、統一期、機能期、散会期。ステージングごとにポイント、リーダーの気を付けるべきところは異なってくる。日々チームの状況は変わるので、状況を的確に把握し、振る舞いを調整する。
  • コミュニケーション大事なのは当然。そのベース作りとして、何気なく相手のことを肯定的に認識していることを(気にかけていること)をこまめに伝えて積み重ねる「ストローク」大事。
  • 信頼関係構築の要諦は、「好かれなくても良い」から、「嫌われないようにする」こと。信頼を積み重ねるのは急激には出来ず日々小さな積み重ねしかないが、信頼を損ねるのは一瞬なので。
  • コツとして「Yes,but」ではなく「Yes,and」。
  • まずは相手(部下、利害関係者)の話をしっかり聞いて正確に理解し、それを相手に認識してもらうこと。共感。なお、同情や同調ではないし、同情や同調はしてはいけない。ただあるがままに理解して判断はニュートラルにしておくことが肝心。
  • その上で、理解し共通認識とできた事実に対して、目標・理想とのギャップをどう埋められるかを、一緒になって考える。自分が全部解決しようとしなくていい、ていうかそれは間違い。

とかとか。

昨日今日聞いたやったばかりのことなのに、もう既にチラホラ記憶が抜けてる部分がありますね。ガーン。明日にでもまた、テキスト読み返して復習しとこうと思います。

アドラーさんの課題の分離その他もろもろや、7つの習慣もリンクさせながら考えると、なるほどなあと理解が深まるところも沢山ありそうです。ま、時間管理のマトリクスとかも研修に出てきたしね。
講師の方もすごく楽しくリラックスできる雰囲気だったし、話も分かりやすくポイント押さえた講義だったので、素敵な2日間でした。

ものすごくざっくりした感想ですが、今日のところはこんな感じで。ざっくりでもなんでも、学びをすぐに文章に自分の言葉でまとめるなんてこと、今まで自分にはあまり無かった試みなもので。
ではでは。

posted by tacryan at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | lifehack | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする